この度は『迷ったら 楽しい方を えらぶのが いいと思う』にお越し下さり誠にありがとうございます。 KIKU / 菊と申します。

2017年5月から、徒然な日常を拙い文章ながら綴っております。更新は不定期です。

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ご清覧ありがとうございました。


夏越大祓

紫陽花のお花が美しく咲き誇る今日この頃みなさまはいかがお過ごしでございましょうか? 早いもので、今年も残すところあと半月となりました。 月日が過ぎゆくのは本当にあっという間ですね。

さて、昨日、6月30日はあちこちの寺社で夏越大祓(なごしのおおはらえ)が斎行されました。斯くいう私も参列して参りました。

 

「大祓」とは我々が日頃の生活の中で無意識に犯してしまう罪や穢れを祓い清め、無病息災を祈るための神事です。 一年を半分に分け、六月と十二月の晦日(みそか)に全国の神社で斎行されております。六月の大祓を"夏越大祓"、十二月の大祓を"年越大祓(としこしのおおはらえ)"と言われております。

 

KIKUは事前に受付を済ませ、神事の時間間際まで喫茶店でお茶をしておりました。今思うと、この判断は大きな間違いだったのでした。予想以上に人出があり、神事が全く見えなかったのでした。

それでも空気を読んで、神職様の進行のお声だけを頼りに式の様子を見守ることに致しました。

 

まずは宮司(ぐうじ)様と思わしき神職さまと供に「高天原(たかまがはら)に神(かむ)留(づま)り坐(ま)す・・・」で始まる大祓詞(おおはらえのことば)』をお唱えいたします。 あたりは瞬く間に壮厳な空気に包まれます。

実は私、神社仏閣が大好きなのです。お経や祝詞を拝聴したり斎唱したりさせて頂くことも楽しみのひとつです。 ただし、全く理解していないです。

続いて、白い紙を人の形に切り抜いた『形代(かたしろ)』という祓具(はらいぐ)によるお祓いです。

事前に頂いた麻と紙を小さく切った『切麻(きりあさ)』左・右・左と身にまいて、同じく頂いた『形代』で頭からつま先まで全身を撫でて息を吹きかけます。これによって自身の罪や穢れを移し、我が身の代わりに祓い清めて頂きます。

 

最後はいよいよ『茅(ち)の輪くぐり』です。

『茅の輪』とは茅草で作られた大きな輪で、それをくぐることで疫病や罪穢を祓い清めると言われております。(由来は記事の最後に記しております。)

茅の輪のくぐり方には独特の作法があります。

①茅の輪の前で一礼をして、左足から潜り、左回りで元の位置に戻ります。

②茅の輪の前で一礼をして、右足から潜り、右回りで元の位置に戻ります。

③茅の輪の前で一礼をして、左足から潜り、左回りで元の位置に戻ります。

 

要するに8の字を描くように3度くぐります。

この時、以下の唱え詞を唱えながらくぐるそうです。私は後ろの方で禰宜(ねぎ)様のお唱えは全く聞こえませんでした。

①「水無月(みなつき)の 夏越(なごし)の祓(はらひ)する人は 千歳(ちとせ)のいのち のぶといふなり」

  水無月の夏越の祓をする人は、寿命が千年伸びるといわれている

  <拾遺和歌集 詠み人知らず>

②「思ふこと みなつきねとて 麻の葉を 切(きり)に切りても 祓ひつるかな」 

  思い悩むことが全て無くなってしまうように祈りながら、麻の葉を切に切って大祓をするのです

  <後拾遺和歌集 和泉式部>

③「蘇民将来(そみんしょうらい) 蘇民将来

 

茅の輪をくぐり終えると、巫女さま達にお神酒(みき)を振舞って下さいました。 本当に美味しゅうございました。

そして本日。こんなにも一生懸命に大祓に参列してきたのにまさかの体調不良です。最近の蒸し暑さで疲れが溜まっていたのだと信じたいです。

 

さて、ではどうして大祓で『茅の輪』をくぐるのでしょうか?

その由来は、奈良時代に編纂された『備後風土記(びんごのくにふうどき)』という逸文蘇民将来の故事に基づきます。

 

ヤマタノオロチを倒したことで知られている須佐之男命(スサノオノミコト)が旅をしている途中、蘇民将来(そみんしょうらい)巨旦将来(こたんしょうらい)という兄弟のところで宿を求めました。

弟の巨旦将来は裕福であったにもかかわらず宿泊を拒んだのに対し、兄の蘇民将来は貧しいながらも喜んで厚くもてなしたのでした。

須佐之男命は蘇民将来一家茅の輪を渡し、「もしも厄病が流行したら、その茅の輪を腰につけなさい」と言って去りました。

何年か後に疫病が流行した時、巨旦将来の一家は病に倒れてしまいましたが、蘇民将来とその一家茅の輪を付けて疫病から免れることができました

この言い伝えから、疫病の流行しやすい夏を前にした六月の大祓には、心身の罪穢を祓い清めて無病息災を祈る神事が広く斎行されるようになりました。

 

この神事は、残念なことに応仁の乱によって長い間行われなくなってしまったそうです。それを元のように再興したのが明治天皇だったそうです。