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2017年5月から、徒然な日常を拙い文章ながら綴っております。更新は不定期です。

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書籍『香三才』

"香り"とは儚くも記憶に深く残る、とても不思議なものだと思いませんか?

KIKUは昔からこの"香り"というものに魅了されております。

 

今回は日本の"香り"の文化であるお香についての書籍をご紹介いたしたく存じます。

香三才―香と日本人のものがたり

香三才―香と日本人のものがたり

 

三才とは"天・地・人"、延いては"宇宙に存在する万物"を指します。

著者はお香の老舗である松榮堂の代表取締役社長である畑正高氏です。こちらは、彼の日本の歴史や文化を交えたお香についての興味深い講演を拝聴したことをきっかけに購入いたしました。親切な解説や丁寧な考察・検証は多くのことを学ばせていただきました。

 

ここでは備忘録も兼ねて、主に、日本における"香り"の文化史を簡単に紐解いていきます。お香の文化がどのように香道にまで昇華されたのかをお話したいと思います。もしご興味がございましたら、お付き合いいただけたら光栄でございます。

 

まず初めに、天然の香木についてお話いたします。東南アジアに生息するジンチョウゲ科植物などの樹皮が菌に感染したり傷が付くと、それを治すために植物自身が樹液を出します。この樹液が固まって樹脂となり、長い時間をかけ胞子やバクテリアの働きによって樹脂の成分が変質し、特有の芳香を放つようになったものを香木と言います。昔も今も、日本では産出されない貴重なものです。

 

お香に関する日本で最古の記録は、595年の推古天皇の御代にまで遡ると伝えられております。『日本書記』には以下のような記述があります。

 

三年夏四月、沈水、漂着於淡路嶋、其大一圍。嶋人、不知沈水、以交薪燒於竈。其烟氣遠薫、則異以獻之。

即位3年4月。沈水という香木が淡路島に漂着しました。その大きさは一抱え程でした。島の人々は沈水とは知らず、薪に混ぜて竃(かまど)で焼きました。その烟(けむ)りは遠くまで良い香りがしました。この不思議な流木を朝廷へ献上しました。

 

この朝廷に献上された流木を聖徳太子(=厩戸皇子)がすぐさま「これこそ沈水香というものなり」と鑑定されたというお話も残っております。(聖徳太子が香木と断定できたのは、既に大陸から伝わってきた仏教の普及に努めていたほど仏教に精通していたためだと考えられています。)

古代インドから伝わったお香は、仏教の伝来とともに仏教儀式に欠かせない品の一つとして発達しました。

 

源氏物語』などの舞台となった王朝文化では、お香とは仏教儀式だけではなく、貴族達による薫物(たきもの)として愛されるようになりました。お香をたいてその香烟を衣服・頭髪・部屋などにしみこませること異臭を消すためでした。薫物は、唐から学んだ教養に基づき、各家々に伝わる香料配合のレシピから作られるものでした。

 

やがて、室町時代初期に京都に登場した婆娑羅(バサラ)と形容された多種多様な価値観を持つ人々は、禅の影響を受けて、香料原料である香木そのものを焚くようになりました。(彼らの生まれ育った環境には香料配合のレシピが伝わっていなかったのも一因かと思われます。)

彼らは、寄合を開き、お香やお茶を大変愛好しておりました。なかでも、佐々木道誉は、多くの香木を所有し、様々な香木に附名し、後の香道の成立に多大な貢献を致しました。

バサラとはサンスクリット語vajra(バジャラ)が語源の金剛石(=ダイヤモンド)のことです。金剛石が全ての石を砕く様から “けたはずれなこと”、転じて“無法者"又は"贅を尽くし自由気まま傍若無人な振る舞いを働く者”という意味で流行した言葉と思われます。

 

時代が下り、『銀閣寺』などを建立した東山文化では、足利義政が自身が収集した香木に加えて前世紀に名を馳せた佐々木道誉の残した膨大な香木を吟味し、分類を試みました。そして、三条西実隆(御家流流祖)志野宗信(志野流流祖)を中心に、"六国五味(りっこくごみ)"という分類法が編み出され、用具やお香の聞き方も様式化され、香道が成立していきました。

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