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タティングレースの豆知識

今回はタティングレースの歴史を少し紹介いたしたいと思います。

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タティングレースの歴史は非常に古く、様々な起源説があります。一説には古代エジプトにまで遡ると言われているようです。さすがにこの時代においては、実用的な用途であったようです。また他にも、アイルランドが発祥の地であり、船を係留するために解けないロープの結び方を取り入れた結びの技法であったという説もございます。

 

現在のような装飾的な用途としては、16世紀のイタリアで基礎的な技法が確立されたと言われております。

同時期にトルコに渡ったものが現在の伝統的な手工芸である「オヤ(Oya)」のようです。(スカーフを被る習慣のあるトルコでは、スカーフの縁に飾りをあしらいます。そのスカーフに施したレース編みの縁飾りのことを総称して「オヤ」と言います。)

 

その後タティングの技法はフランスに渡り、18世紀から19世紀には王侯貴族の間で寵愛されることとなります。特にイギリスでは、17世紀末イングランド女王メアリー2世(MaryⅡ of England;1662-1694)が熱心なタティングレース愛好家であったことから大変持て囃され、教養として嗜まれておりました。

 

大がかりな器具を使わずに作成できるため、国王に謁見するための待ち時間や舞踏会へ向かう馬車のなかで女性たちはコツコツと結っていたようです。また一度結い方を覚えてしまうと手元を見なくても作れるため、蝋燭の節約にもなるという案外経済的な理由も含まれていたと思われます。

 

当時の流行の様子を窺える絵画を見つけたので、以下にご紹介致します。

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 マリア・アマリア・フォン・ザクセンの肖像

 

彼女はスペイン王カルロス3世の王妃、マリア・アマリア・フォン・ザクセン(Maria Amalia Christina von Sachsen;1724-1760)です。装飾のあるシャトルを手にしております。当時はシャトルを持って肖像画を描くのが流行したために、肖像画シャトルというものまであったそうです。

 

なお、日本タティングレースが入ってきたのは明治初期の頃であったと言われております。ミッションスクールの宣教師によってもたらされ、明治から昭和にかけて流行したそうです。

 

最後に、日本では「tatting (タティング)」と呼ばれておりますが、これは英語圏の名称です。フランス語では「frivolité (フィリヴォリテ)」と言います。意味は「軽薄さ、くだらないこと、移り気、無造作、道化」です。またイタリア語では「chiacchierino (キアッキエリーノ)」と言い、「おしゃべり」という意味があります。